昨日、見て来ましたよ~、物流で!!
なにがって、退院祝いのダブルカーボンのボンネットを。
写真のように、表は、普通のカーボンボンネット。
でね、裏を見たときの感想を
一言でいいますと、 「ウオッ~」 てな感じです(マジですよ、マジ)。
「なんのこっちゃ~」 って??
いや~、見たら興奮しますよ・・・、絶対に。
ということで、写真も撮ってきましたので、お見せしましょう!
本邦初公開! カーボンボンネット タイムアタック スペシャル!!
これは、もう言葉になりません!
間違いなく、一目ボレです・・・・・。
でも、ボンネットを持ったときは、あまりにもの軽さに、もっと驚きました。ハイ。
コレって、量産できないのかな・・・・・。
(また、田中の悪い虫が・・・・・)
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昨日は、本庄サーキットで
取材でした。
SA浜松さんの
ご依頼で、Z34 用
ZONE ブレーキパッドのマッチング確認。
でね、使用した車輌は、
SA浜松さんのデモカーと思いきや、
木下みつひろ選手 のマイカーでした!
まずは、純正パッドで走行し、
次々と、ZONE のブレーキパッドを投入。
走っては、コメント取りを繰り返し、
ま、最後は、こんな感じに。
(やっぱり、田中、痩せましたよね~)
(後ろに写っている、変なオッサンは、無視無視・・・・・)
また、マッチング確認と同時進行で、
撮影(通称 ブツドリ)も、順調に進みましたが・・・・・・、
やはり、この日も、
SA浜松 スポーツ担当の
鈴木さんのジーンズは、
ファンキーでした・・・。
いったい、どこに、売っているのだろう・・・・・・。
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さあ~、いよいよ、
鍛造アルミホイールの製造がはじまりました。
そこで、「ワシマイヤー社」 が、
パートナーに選んだ会社。
それが、当時ドイツのモータースポーツ界で、
モータースポーツ用パーツメーカーであり、
ホイールサプライヤーであった、「BBS社」 なのです。
ちなみに、社名は、
元カーレーサーのバウムガルトナー(B)、
共同出資者のブラント(B)、
そして、街の名前である、シルタッハ(S)
の頭文字から、「BBS」 と、なったということです。(豆知識・・・)
小野氏のラブコールで、
来日したバウムガルトナー氏は、
ワシマイヤーの工場を見学すると・・・・・、
即断で、提携を決めたといいます。
(それほどまで、すばらしい技術力だったそうです)
それからの、「ワシマイヤー社」 の功績は、
みなさんも、よ~く、ご存知ですよね。
当時、不可能といわれていた、
メッシュデザインの鍛造ワンピースホイールが生まれ、
レース用として、
数々のマグネシュウム鍛造ホイールが生まれました。
結果、フェラーリをはじめとする、F1チームでの
最大シェアーのホイール製造メーカーとなったのです。
(以来、数々のテスト機関にて、世界最強の称号が与えられ続けています)
もちろん、この間に、鍛造方法も、どんどん進化し、
世界中で、ワシマイヤー社しかできない、
密閉鍛造技術をはじめ、
鍛造機も、現在では、9000トンなんて、
すさまじい、ものまでもあります。
今でこそ、 BBS = 軽くて強い、
世界最強の鍛造ホイールメーカー
というイメージが強いですが、
これらの鍛造ホイールは、
すべて、富山県高岡市にある、
ワシマイヤーという工場が製造しています。
もちろん、F1のホイールも、
BBS マークのものは、
すべて、ワシマイヤーで製造されています。
いまでは、数社が、F1用鍛造ホイールを製造していますが、
ワシマイヤー社は、
いち早く、自動車用アルミホイールに鍛造技術を投入し、
試行錯誤の結果、数々の特殊技術を生み出しました。
(現在、これらの技術は、特許に守られています)
そして、その技術力は、
今もなお、進化し続けている、脅威の技術集団なのです。
また、このワシマイヤー社も、
日本BBS(BBSの日本法人)も、
小野氏が会長を勤める、小野グループ(本社 福井市)の
配下の企業となっています。
いや~、さすが、ものづくり大国、日本!
やっぱり、スゴイ製品には、スゴイ歴史があるんですね・・・。
以上、BBS 鍛造ホイールの生い立ちでした。
では、昨日の続きを。
トーメンを円満退社し、
スタートした新会社は、
最初の数年は膨大な赤字となりましたが、
クォリティの高い、ドイツ製の紡績機械は、
徐々に売れ始め、
数年で、他社を圧倒する存在になったそうです。
「品質の良いものは、必ず売れる」 という、
ドイツ流商品哲学が、日本にも通用したということですね。
しかし、
順風が吹き始めたと思ったのも束の間、
オイルショックによる強烈なインフレにより、
負債は膨らみ、会社の経営は、危機を迎えたそうです。
おまけに、当時は、金融引き締め政策があり、
ドイツからの資金流入が許可されず、
かなり厳しい状態・・・・・。
でも、「良いものは必ず売れる」 という、
小野氏の人生哲学と、
社員の方々の頑張りで切り抜け、たそうです。
そんな中、小野氏は、
富山県高岡市に、
「ワシマイヤー」という会社を設立しました。
この会社は、
カール・マイヤー製の機械に使用する、
アルミ大型ビーム
(ミシンに使用する、糸巻きボビンの巨大なもの)
の製造を担当します。
こんな感じの製品です。
この、アルミ大型ビーム(鋳造品)は、売れに売れ、
シェアーの90%を持つことになりましたが、
その後に、ドイツから、軽くて丈夫な鍛造品が
輸入され始めると、シェアーは逆転しました・・。
理由は、この糸巻きビームは、
約30インチの直径と大型で、
そこに、糸が巻かれると、100トンにも及ぶ、
側圧圧力がかかることから、
強度と軽さにアドバンテージがある、
鍛造品が主流となったのです。
このころ、日本には、鍛造で、
糸巻きビームを作る技術がありません。
そこで、小野氏は、
この糸巻きビームを鍛造で作る
プロジェクトを立ち上げました。
(なんとな~く、BBS鍛造ホイールの匂いがしてきましたね~)
まず、試したのが、「溶湯鍛造」という技術。
アルミをチョコレートのように半分解けた状態にして、
鍛造する手法なのですが、
強力な圧力でアルミを押し付けるからできる、
鍛流線もできず、
強度的にもドイツ製に敵いません。
(でも、昭和40年代に、すでに、溶湯鍛造を試していたのには、ビックリです!)
そして、幾度となく、試行錯誤を重ね、
セクション鍛造という技術が生み出されます。
これは、体重の軽い女性でも、
ハイヒールで踏まれたら痛いのと同じように、
圧力をかけるポイントを小さくする手法です。
そうです、1千トンの鍛造機から、
3万トンの鍛造機と同じ製品が
作れるようになったのです。(特許取得)
ここまで来ると、この先は、
なんとな~く、理解できますよね。
そうです、この鍛造技術を用いて、
自動車用アルミホイールの製造が始まるのです。
つづく
なんとか、先週末に退院した田中です。
でも、まだ、体調が・・・、
まったく戻りません・・・・・。
ということで、まだ会社には、
出社できませんので、
自宅で、BBSホイールのことを
ブログに書こうと思います。
今日は、BBS鍛造ホイールの歴史
第一回目です。
まずは、鍛造ホイールのルーツから、
ごゆっくり、お楽しみ下さい!
BBS鍛造ホイールのルーツは、
1932年 北海道旭川市に、生まれた、
小野光太郎 氏 から始まります。
(なんと、お父さんは、教会の牧師さんです)
小野氏は、学生時代、
授業料をアルバイトで稼ぐという、ゆわえる「苦学生」。
明治学院大学(経済学部)を卒業後に、
大阪の総合商社「トーメン」に入社。
特に目立った存在ではなかったようで、
結婚後も、2DKの公団住宅に住む、
平凡なサラリーマンだったそうです。
でも、そんな平凡な生活を一変する、
チャンスが小野氏に、到来します。
それは、社内で、
海外要員試験制度というものが発足。
小野氏は、これを、BIGチャンスと捕らえ、
日夜、英語と貿易実務を懸命に勉強しました。
(このあたりが、なかなか、私のような凡人には、真似ができない・・・・・)
そして、努力の甲斐あって、422人の志願者中、
わずか24人の合格者の一人となったのです!
その後、小野氏の担当は、
ドイツ「カール・マイヤー社」 の国内担当となり、
日本とドイツを往復する、日々が続きました。
(この会社は、自社で紡績機械を作っている、大メーカーです)
小野氏の仕事ぶりは、
周囲の目を見張らせるものがあり、
次第に評価も上がっていった、ある日。
社長のカール・マイヤー氏から呼び出しがありました。
内容は、紡績機械を取り扱う、
「カール・マイヤー社の日本拠点を任せたい」 ということでした。
そう、カール・マイヤー社 日本支店の社長に
なるということです。
そこで、用意されたお金は、
なんと、10億円!
昭和43年当時の10億円ですから、
今のお金でいうところ、
約100億円です。
(もちろん、担保も、保証人もなし!)
いやはや、なんだかすごい話になってきました・・・。
続きは、また、明日にでも。
みなさんこんにちは。
土曜日の夜に退院した、田中です。
一週間前の日曜日の深夜、
突然、おなかが、痛くなり、
そのまま、入院・・・・・。
入院当初は、痛みとの戦いで、
ヘトヘトでしたが、
木曜日あたりから、痛みもとれ、
血液の炎症反応の数値も、
下がったことから、
晴れて、土曜日の夜に、
退院できることになりました。
でも、先週末は、
SA八王子さんで、イベントがあったのに、
田中は、不参加・・・・・。
では、申し訳ないと思い、
昨日の午後に、出没してしまいました。
さすがに、クルマに乗るパワーは、無く・・・、
同乗走行は、すべてこの人に、お願い・・。
そう、GTドライバーの峰尾選手 です!
話を聞くと、あまりにもの盛況ぶりに、
土曜日も、日曜日の午前中も、
ほとんどクルマを降りることなく、
走り続けてくれたようです。
(感謝! 感謝!)
それから、タッシーには、ECU の書き換えで、
かなり、頑張っていただき(書き換え件数、レコード樹立!!)、
高橋氏も、ダンパーの説明と、
少しでも、みなさんが、お安くパーツを買えるように、
峰尾選手にプレッシャーをかけ続けてくれました。ハイ。
(写真、右側は、APR 社長 の金ちゃん)
また、日曜日には、望月さんが友情出演?で、
駆けつけてくれ、ほぼ、オールメンバー。
でもね、このメンバーを見ていると、
峰尾選手が、チトかわいそう・・・。
だって・・・、
高橋氏 → 峰尾選手所属チームの監督(GT300)
金ちゃん → 峰尾選手所属チームの社長(GT300)
望月さん → 以前、峰尾選手所属チームのチーフ(インテグラ ワンメイク)
タッシー → 峰尾選手所属チームのエンジンエンジニア(複数車輌)
田中 → 先輩ドライバー
このメンバーを相手に、イベントするわけですから、
峰尾選手、倒れるまで、頑張るしか、
手がありませんよね~。
オマケに、みんな、強引なことと、
好き勝手なことしか言わないし・・・・・。
いやはや、今回のイベントの
一番の功労者は、峰尾選手、
あなたかもしれませんね・・・。
(ホント お疲れ様でした!)
でも、峰尾選手の頑張りがあったからか、
イベントは、大盛況の 大成功で、
幕を閉じたのであります。
ご来店いただきました みなさま、
そして、商品をご購入いただきました みなさま、
本当に、ありがとうございました。
SA八王子店は、峰尾選手が、
スポーツ担当として、常勤しておりますので、
今後、TM-SQUARE 商品をはじめ、
弊社商品のことであれば、
どんなことでも、ぜひ、ご相談くださいね。
あの長時間、同乗走行を頑張ってくれたのですから、
TMーSQUARE の商品知識は、
バッチリだと思いますので!!