BBS鍛造ホイール誕生の歴史 ②
2010年02月05日(金)
では、昨日の続きを。
トーメンを円満退社し、
スタートした新会社は、
最初の数年は膨大な赤字となりましたが、
クォリティの高い、ドイツ製の紡績機械は、
徐々に売れ始め、
数年で、他社を圧倒する存在になったそうです。
「品質の良いものは、必ず売れる」 という、
ドイツ流商品哲学が、日本にも通用したということですね。
しかし、
順風が吹き始めたと思ったのも束の間、
オイルショックによる強烈なインフレにより、
負債は膨らみ、会社の経営は、危機を迎えたそうです。
おまけに、当時は、金融引き締め政策があり、
ドイツからの資金流入が許可されず、
かなり厳しい状態・・・・・。
でも、「良いものは必ず売れる」 という、
小野氏の人生哲学と、
社員の方々の頑張りで切り抜け、たそうです。
そんな中、小野氏は、
富山県高岡市に、
「ワシマイヤー」という会社を設立しました。
この会社は、
カール・マイヤー製の機械に使用する、
アルミ大型ビーム
(ミシンに使用する、糸巻きボビンの巨大なもの)
の製造を担当します。
こんな感じの製品です。
この、アルミ大型ビーム(鋳造品)は、売れに売れ、
シェアーの90%を持つことになりましたが、
その後に、ドイツから、軽くて丈夫な鍛造品が
輸入され始めると、シェアーは逆転しました・・。
理由は、この糸巻きビームは、
約30インチの直径と大型で、
そこに、糸が巻かれると、100トンにも及ぶ、
側圧圧力がかかることから、
強度と軽さにアドバンテージがある、
鍛造品が主流となったのです。
このころ、日本には、鍛造で、
糸巻きビームを作る技術がありません。
そこで、小野氏は、
この糸巻きビームを鍛造で作る
プロジェクトを立ち上げました。
(なんとな~く、BBS鍛造ホイールの匂いがしてきましたね~)
まず、試したのが、「溶湯鍛造」という技術。
アルミをチョコレートのように半分解けた状態にして、
鍛造する手法なのですが、
強力な圧力でアルミを押し付けるからできる、
鍛流線もできず、
強度的にもドイツ製に敵いません。
(でも、昭和40年代に、すでに、溶湯鍛造を試していたのには、ビックリです!)
そして、幾度となく、試行錯誤を重ね、
セクション鍛造という技術が生み出されます。
これは、体重の軽い女性でも、
ハイヒールで踏まれたら痛いのと同じように、
圧力をかけるポイントを小さくする手法です。
そうです、1千トンの鍛造機から、
3万トンの鍛造機と同じ製品が
作れるようになったのです。(特許取得)
ここまで来ると、この先は、
なんとな~く、理解できますよね。
そうです、この鍛造技術を用いて、
自動車用アルミホイールの製造が始まるのです。
つづく