「怒るで、しかし・・・・・・」
2014年02月23日(日)
じつは、今日、友とお別れを してきました。
今週の月曜日
片山メカニックが 逝きました。
数年前から、ずっと病魔と戦っていましたが、
最後は、家族に見守られながら、
力尽き、逝ってしまいました・・・・。
片山メカニックとは、今から、約20年前
GT500 のポルシェで、一緒に仕事をしたのが、一番最初でした。
それから、2003年 GT300
レーシングプロジェクト バンドウ の セリカ で再会。
しかし、まぁ~、あんたとは、
セットの方向性で、よく ケンカ (もちろん、言い争い) したよね~!
そして、その年、2勝!!
嬉しかったよなぁ~。
祝勝会でのエピソード報告は、自粛・・・・・・・・(笑)
そして、田中が引退した 2006年 は、
APR のメカニックとして、田中をガッツリと支えてくれたっけ・・・・・・。
いまでも、覚えているけど、
田中が引退することを決めたレースでは、
我らが、APR の MR-S は、圧倒的な速さを誇りながら、
トラブルにより、相棒の 大嶋和也 が、ピットスタート。
その後、追い上げて、TOP まで上がったけど、
タイヤ交換に入っている車両があり、事実上の3番手。
勝つためには、「タイヤ無交換 作戦しかない」 と、田中が判断し、
実行したものの タイヤがまったく残っておらず、スピンして勝てなかったよね・・・・・・。
この一件で、田中は引退を決意。
でも、レース中、あんただけは、
「ゼッタイに、タイヤ無交換でないと、勝ち目がない!」 と言い張る田中に、
「田中ミノルのセンサーなら、タイヤを交換しても勝てる!」 って、
言い続けてくれたよね・・・・・・・。
田中が引退する時、あんたが言った
「オレの言うこと聞いていりゃ、あと、3年はできたのに・・・・・」 という言葉・・・。
嬉しかったよ、片山さん・・・・・・・。
それから、田中の引退後は、
レースで忙しいのに、弊社のイベントや、開発を
いっぱい手伝ってくれて、ホントありがとうね。
本庄サーキット 車両開発
月刊 「匠の日」
出張 「匠の日」 in モーターランド鈴鹿
お互い、自分の信念を ゼッタイ に曲げない 性格だけに、
たくさん、衝突もしたけど、
もう二度と、あんたと、セットアップ のこと、
話ができないと思うと、やっぱ、寂しいよ・・・・・・・・。
オレはあんたのこと、一生忘れない。