神谷社長! ありがとうございました!!

2020年02月25日(火)

昨日は、鈴鹿サーキットにて、WEST RACING CARS 神谷誠二郎 氏の 追悼式「THANKS神谷」に出席しておりました。

先輩ドライバー、後輩ドライバー、そして、レース関係のみなさんで、350名以上が集結するという、あらためて神谷社長の人望の厚さを感じる、素晴らしい追悼式でした。

そのセレモニーの中で、 WEST RACING CARS 出身のドライバーを代表して、服部尚貴選手、阪口良平選手、そして、田中の3人で、WEST RACING CARS 製のレーシングカーにて、鈴鹿サーキットを走行するという企画がありました。

で、最初は、「ちゃんと、走れるのか・・・・?」

という不安しかなかったのですが、
(だって、34年ぶりに、FJ1600に乗るのですから・・・・・・笑)

エンジンがかかり、スタートの合図が出て、
クルマが数センチ動いた瞬間に・・・・・、

「号泣・・・」

子供の頃を過ごした場所を、数十年ぶりかに訪れたように、

その景色や、匂いや、音や、振動で、
一瞬にして、その時代に戻れ、
歯を食いしばって戦っていた日々を思い出し、心が振るえました。

涙が止まりませんでした・・・。

すべては、ここから始まったこと、
それを、明確に五感が記憶している感動と、懐かしさ・・・。
そして、神谷社長との思い出が、走馬灯のように駆け巡りました。

WEST RACING CARS は、まさに、田中ミノル の原点であり、すべての始まりの場所であることを再認識しました。

それでは、天国の神谷社長へ お別れの言葉を捧げます。

昨年 10月10日 雅子さんから、「東京の病院に来ているので、今夜食事でもどう?」 と、突然、ご連絡をいただきました。

当日、筑波で部品開発の仕事をしておりましたが、「きっと、元気な神谷社長とお会いできるのは、今夜が最後になる」と、直感でそう思い ご宿泊先のホテルに向かいました。

和食を食べ、バーに行き、昔の話、今の話、病気の話、いろいろなことを話しました。いつものように とてもパワフルな 神谷社長 ではありましたが、私は、近々、神谷社長とのお別れが来ることを このときに「覚悟」しました。

あの日、元気な神谷社長と、一緒に食事できる機会を作っていただいた 雅子さんには、本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

私と、神谷社長 の出会いは、1986年 の シーズン前、FJ1600 の 2シーズン目を WEST製の新車 「WEST 86J」 にて、戦いたくて 神谷社長 の 元を訪ねた のが最初でした。

この「WEST 86J」の戦闘力は非常に高く、1986年シーズンがはじまると、多くのドライバーが好成績を収めました。

私は、神谷社長ならびに、WESTレーシングカーズ の強力なサポート体制の中、鈴鹿のみに留まらず、筑波サーキット、西日本サーキットにも、遠征し19レースに参戦。その中、11レースにて、表彰台の一番高い場所に立てたことは、私の 一生の思い出 です。

また、シリーズ終了後、WESTレーシングカーズ の 慰安旅行 となる マカオグランプリ にも、連れて行っていただきました。

そこで、ヨーロッパのドライバーの速さを目の当たりにした私は、レースの本場、イギリスでレースをすることを決意。まさに、今思えば、運命の出会いだったと思います。

神谷社長からの多くの教えの中、私は、今でも、大切にしている言葉があります。

それは、FJ1600 にて、チャンピオンになった翌年、イギリスでレースをするために、資金集めに奔走していた私は、シーズンが、はじまっても、資金を準備することができず、時間だけがドンドン過ぎていく焦りから、

「社長、ボクはクルマを速く走らせることは、できるようになったけど、資金を集めることも、協力者を見つけ出すことも、運転以外のことは、何も出来ない」

と、神谷社長の前で、弱音を吐いたことがあります。

そのとき、神谷社長は、

「ひとつのことが、出来たヤツは、必ず、他のことも、出来るようになる」

と言われました。
努力して、出来ない を 出来る に、ひとつでも 変えられたのなら、他の出来ないことも、努力すれば、きっと、出来るようになるという内容でした。

そして、「誰よりも、欲しいという気持ちが強ければ、 きっと、どんなものでも、手に入る」とも、言っていただきました。

クルマの運転しかできない お金のない 世間知らずの ハタチ過ぎ の私が、この言葉に、どれだけ、勇気付けられたか・・。

きっと、この言葉がなければ、あの八方塞がりの状況で、私は、イギリスでレースをすること自体を挫折していたと思います。

また、精神面だけではなく、少しでも資金を集めやすくするために、たくさんの方々をご紹介いただきました。

中でも、映像制作会社 ユニオンプロジェクト の 大坪会長 に、ドキュメント番組の制作をお願いいただいたことで、資金集めは大きく好転し、念願のイギリスに渡ることができました。

そして、その後、4年間も、夢だったイギリスでレースをすることができました。

「誰よりも、欲しいという気持ちが強ければ、きっと、どんなものでも、手に入る」

神谷社長 まさに、そのとおり でした。

神谷社長と出会えたことで、これらの教えが、レーシングドライバー 田中ミノル の骨格となり、引退まで、26年間も、レースを続けることができたこと、本当に感謝しております。

もう、神谷社長 と会えないと思うと、本当に寂しくて仕方がありませんが、元気になった身体で、そちらでも、「神谷節」全開で、どうぞ、我々のこと、見守っていてくださいね。

神谷社長 本当にありがとうございました!