BBSの歴史
では、BBS鍛造ホイール誕生の歴史を少し
BBS鍛造ホイールのルーツは、1932年 北海道旭川市に、生まれた、小野光太郎 氏 から始まります。
(お父さんは、教会の牧師さんです)
学生時代は、授業料をアルバイトで稼ぐという、ゆわえる「苦学生」。
明治学院大学(経済学部)を卒業後に、大阪の総合商社「トーメン」に入社。特に目立った存在ではなく、
結婚後も、2DKの公団住宅に住む、平凡なサラリーマンだったそうです。
でも、そんな平凡な生活を一変するチャンスが、小野氏に到来します。
それは、社内で海外要員試験制度というものが発足。
小野氏は、これをBIGチャンスと捕らえ、日夜、英語と貿易実務を懸命に勉強しました。
(このあたりが、なかなか、私のような凡人には、真似ができない・・・・・)
そして、努力の甲斐あって、422人の志願者中、わずか24人の合格者の一人となったのです!
その後、小野氏の担当は、ドイツ「カール・マイヤー社」 の国内担当(紡績機械)となり、日本とドイツを往復する日々が続きました。
小野氏の仕事ぶりは、周囲の目を見張らせるものがあり、次第に評価も上がっていったある日。
社長のカール・マイヤー氏から呼び出しがありました。
内容は、紡績機械を取り扱う、「カール・マイヤー社の日本拠点を任せたい」 ということでした。
そう、カール・マイヤー社 日本支店の社長になるということです。そこで、用意されたお金は、
なんと、10億円! 昭和43年当時の10億円ですから、今のお金でいうところ、約100億円です。
(もちろん、担保も、保証人もなし!)
トーメンを円満退社し、スタートした新会社は、最初の数年は膨大な赤字となりましたが、クォリティの高い、
ドイツ製の紡績機械は、徐々に売れ始め、数年で、他社を圧倒する存在になったそうです。
「品質の良いものは、必ず売れる」 という、ドイツ流商品哲学が、日本にも通用したということです。
しかし、順風が吹き始めたと思ったのも束の間、オイルショックによる強烈なインフレにより、負債は膨らみ、会社の経営は、危機を迎えたそうです。
おまけに、当時は、金融引き締め政策があり、ドイツからの資金流入が許可されず、かなり厳しい状態・・・・・。
でも、「良いものは必ず売れる」 という、小野氏の人生哲学と、社員の方々の頑張りで切り抜けたそうです。
そんな中、小野氏は、富山県高岡市に「ワシマイヤー」という会社を設立しました。
この会社は、カール・マイヤー製の機械に使用する、アルミ大型ビーム(ミシンに使用する、糸巻きボビンの巨大なもの)の製造を担当します。
この、アルミ大型ビーム(鋳造品)は、売れに売れ、シェアーの90%を持つことになりましたが、
その後に、ドイツから軽くて丈夫な鍛造品が輸入され始めると、シェアーは逆転しました・・。
理由は、この糸巻きビームは、約30インチの直径があり、そこに、糸が巻かれると、100トンにも及ぶ、
側圧圧力がかかることから、強度と軽さにアドバンテージがある、鍛造品が主流となったのです。
このころ、日本には、鍛造で、糸巻きビームを作る技術がありません。
そこで、小野氏は、この糸巻きビームを鍛造で作るプロジェクトを立ち上げました。
(なんとな~く、BBSの生い立ちがわかるでしょう?)
まず、試したのが、「溶湯鍛造」という技術。アルミをチョコレートのように半分解けた状態にして、鍛造する手法なのですが、強力な圧力でアルミを押し付けるからできる、鍛流線もできず、強度的にもドイツ製に敵いません。
(でも、昭和40年代に、すでに、溶湯鍛造を試していたのには、ビックリです!)
そして、幾度となく、試行錯誤を重ね、セクション鍛造という技術を生み出されます。
これは、体重の軽い女性でも、ハイヒールで踏まれたら痛いのと同じように、圧力をかけるポイントを小さくする手法です。そうです、1千トンの鍛造機から、3万トンの鍛造機と同じ製品が作れるようになったのです。(特許取得)
ここまで来ると、この先は、なんとな~く、理解できますよね。
そうです、この鍛造技術を用いて、自動車用アルミホイールの製造が始まるのです。
そこで、「ワシマイヤー社」 が、パートナーに選んだ会社。
それが、当時ドイツのモータースポーツ界で、モータースポーツ用パーツメーカーであり、ホイールサプライヤーであった、「BBS社」 なのです。
ちなみに、社名は、元カーレーサーのバウムガルトナー(B)、共同出資者のブラント(B)、そして、街の名前である、
シルタッハ(S) の頭文字から、「BBS」 と、なったということです。(豆知識・・・)
小野氏のラブコールで、来日したバウムガルトナー氏は、ワシマイヤーの工場を見学すると・・・・・、
即断で、提携を決めたといいます。(それほどまで、すばらしい技術力だったそうです)
それからの、「ワシマイヤー社」 の功績は、みなさんも、よ~く、ご存知ですよね。
当時、不可能といわれていた、メッシュデザインの鍛造ワンピースホイールが生まれ、レース用として、
数々のマグネシュウム鍛造ホイールが生まれました。
結果、フェラーリをはじめとする、F1での最大シェアーのホイール製造メーカーとなったのです。
(依頼、数々のテスト機関にて、世界最強の称号が与えられ続けています)
もちろん、この間に、鍛造方法も、どんどん進化し、世界中で、ワシマイヤー社しかできない、密閉鍛造技術をはじめ、
鍛造機も、現在では、9000トンなんて、すさまじい、ものまでもあります。
今でこそ、 BBS = 軽くて強い、世界最強の鍛造ホイールメーカー
というイメージが強いですが、これらの鍛造ホイールは、すべて、富山県高岡市にある、ワシマイヤーという工場が製造しています。
もちろん、F1のホイールも、BBS マークのものは、すべて、ワシマイヤーで製造されています。
いまでは、数社が、F1用鍛造ホイールを製造していますが、ワシマイヤー社は、いち早く、
自動車用アルミホイールに鍛造技術を投入し、試行錯誤の結果、数々の特殊技術を生み出しました。
(現在、これらの技術は、特許に守られています)
そして、その技術力は、今もなお、進化し続けている、脅威の技術集団なのです。
また、このワシマイヤー社も、日本BBS(BBSの日本法人)も、小野氏が会長を勤める、小野グループ(本社 福井市)の配下の企業となっています。
いや~、やっぱり、スゴイ製品には、スゴイ歴史があるんですね・・・。
以上、BBS 鍛造ホイールの生い立ちでした。